不完全

俺はダメな人間だとつくづく思う。3ヶ月間ほど、自己肯定感は0のままである。太宰治人間失格の1部を借り、「生まれて、すみません」と頭の中で唱えるのが日課であるほど俺は自分が嫌いだった。

1度、家にある縄跳びのロープを使って無心に首吊り用の縄を結んだこともあった。正気に戻った瞬間も、今も、考えてみれば恐ろしい。人格が別のものに置き変わっていた可能性はあれど、自分が自らの意思で生を断とうとしていたことがとにかく恐ろしい。

心が死んでいた。心のどこかで助かりたいと思った俺はTwitterを介して心境を明かした。ありがたいことに友から心配の連絡が来たが、俺はどうしても甘えきれなかった。感情を殺し、不安にさせないように精一杯だった。(考えてみればそれが1層不安にさせたのかもしれないが)故、ありがたい心配の連絡が鬱陶しく思えてしまった。

そして誰とも喋りたくなくなった。Twitterでの弱音ですら吐かなくなった。自己否定の念は肥大するが、全て心の内に秘める事にした。

しかしその体勢も長くは続かない。とある日、体が起き上がらず、ついにはバイト前に嘔吐。危険信号だ。体がこれ以上耐えきれないことを警告してくれたものであった。それ故、その日のバイト,大学の講義は休むことにした。

本来ならばそこでしばらくの気分転換が必要だったのだろう。しかし、各方向に対して余裕の無かった俺は逃げることが許されなかった。吐いた次の日からまた、同じ日々を過ごしていった。

2度目のガタが来る。期末試験当日。再びの嘔吐。更には歩くことすら厳しい状況に。これも危険信号だということにより、試験を欠席して通院することになった。

 

前置きが長くなったが、ここからが地獄だったのである。

 

父に連れられ車で病院へ。心が閉じた俺は誰とも喋る気は無かった。対して父は自分で説明しろと強く要求する。仕方なく細い声で応答するも届かず。ついには怒鳴られる始末であった。

苦痛だった。車を下り、歩きが覚束無い俺を見てまた怒鳴る。一人で歩けと突き放す。本当に苦痛だった。まるで囚人と看守のような状態。

病院では看護師により直ぐにベッドまで案内される運びになり、1度父と離された。精神的に一瞬の安堵が許されたが、問診票を持ち再び父はやって来る。

何度も言うが誰とも喋る気は無い。声も出せない。そこで俺は自分で書こうと問診票とペンを取った。しかし父は直ぐに取り返し、話せとまた怒る。病院内ゆえ怒鳴られはしなかったが冷たかった。父に見せないように涙を零した記憶が微かに残っている。

受験期にも同じような状況があった。口を開きたくない俺を怒鳴り、筆談すら許さず声を発して説明しろと迫る父。思い返せば地獄の空気。

 

幼少期から良い子を演じてきた。良い子なので我慢をする。良い子なので甘えない。良い子なので何も欲しがらない。

果たして「良い子」だろうか。今思えば歪んでいることは明確だ。しかし幼い俺には分からなかった。このような教育をする家庭で、教えを破れば厳しく怒鳴られる恐怖が背後にあったから、なのかもしれない。

19になった今もその恐怖は続く。「良い子」にしなければ、演じなければ。長男として甘えることはご法度。妹達の自由のため、俺からは何も要求しない。要求しようものならまた怒られる。本心を隠せ。エゴを捨てろ。

 

そうして育った俺はいつしか、自分が幸せになることが許せなくなってしまった。

 

嫌だ。甘えたい。助かりたい。誰かに助けを求めたい。

 

駄目だ。甘えるな。己が滅んでも他人の幸せを守れ。構ってもらうな。

 

 

 

 

 

この葛藤の答は見つからぬままである。

 

 

 

 

今日、また朝起きて嘔吐。しかし休養をとって甘えようものならまた父に怒鳴られる。トラウマを背に今日も学校へ赴いた。

 

どうか、ブログに逃げた自分を許して欲しい。